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何がしたいの?


summyが今まで何を考えこれから何処へ行こうとしているのか、その思いがちょっとだけでも、皆に分かってもらえたら、
それはとても素敵なことだと思います。summyの考え方の中で、反論、異論があると思います。その声は是非聞かせて欲しい。
語り板、メール、語り板2号何処でもいいです。書いて下さい。このページの記事は、ハマりもの同様、更新される予定です。

=summyの簡単な履歴書=
summyは、小さな寺の娘として生まれる。(1975年)
小学校2年の時、村の診療所のお医者(おばあちゃん先生)が亡くなり
その先生の診療所が閉鎖されたことにより増えた救急車を見て、医者になりたい!って思う。

小学校6年生の時、ちょっと魔が差し、弁護士になりたい!な〜んて思ってたが、辞めました。
中学2年生の時、文章クラブなんてところに入り、いろんな作品賞やら何やらに作品を送り、作家になろうかと思うが、
ネタ切れたら終わりかも・・・って思うと怖くなりやっぱりお医者になると思う。
が、変てこsummyは、大検による大学受験資格取得を目標にし、高校への進学はしないと言い張る。が、とりあえず受けてみたらと言われ受験。

普通に県立高校の普通科普通クラスに進学。友人と自然科学部に入り(最初部員は0人)ジャンケンで負け部長に就任!
結局、月1日しか活動しない事実上帰宅部を作る。<シンプソンズ見たさにね。(笑)
高校1〜2年は、日本リーグ(読売クラブの武田・日産の井原)が好きで見始める。
が、Jリーグ開幕と共に、お祭りじゃない!って思い見なくなった。高校3年にもなったしね。
田舎のほのぼの気質に流され県立高校を卒業。(1993年)

大学受験のため上京。もちろん医学部>だけど浪人決定!(1993年)
1浪しても医学部や薬学部には受からず、試験2週間前に出願した私立C大の理工学部応用化学科に合格。>大学生に。でも夜学(1995年)
人並みに?勉強も恋もしたわねぇ。ちゅ〜か、勉強は多分一番やってた。勉強してるだけで安心してた。<病気だ〜!!!
フランスW杯、ココまで全く忘れていたサッカーを。学校帰りに青い集団に巻き込まれた事でちょっと思い出す。
奨学金をもらって大学4年間を過ごす。そして、環境化学の研究室で1年勉強、国立大の大学院(環境化学)を受ける>落ちる(1999年)
留年決定!行く先決まってなかった私は、1科目で留年することにあまり抵抗無かった。(1999年)

やっぱり、医学って事が忘れられず、公立大の身体適応科学専攻の研究生になる。(2000年)
7月より私立S大医学部第一解剖教室の研究生にもなる。(2000年)
周りのお医者さんや医学研究者を見ると、やっぱりお医者になりたい!って思い、先輩に「一度、社会に出た方が良い医者になれるよ。お前は。」
って言葉から、就職活動開始!出版系を中心に行うが、卒業から2年が過ぎていて、途中で大学院を諦めたヤツに社会の風当たりは強い!(2001年)
C大の就職課で資料を見てると、教職免許あるならって、どんなところでも頑張る?って事で紹介された高校を受験してみる。
なんと、非常勤ではあるものの、受かっちゃう。そこで働きはじめる。>技能連携校って言うちょっと珍しい学校。
不登校やLD、AD/HDの生徒達も勉強する環境。人に優しい感じの学校です。

近くに東京スタジアムが建つ。FC東京ってチームとヴェルディーがホームスタジアムらしい。って聞き行ってみようって思うが、
東京のチケットの方が安かったので東京の試合を見ることに。一人知ってる選手を作ろう!って思いam/pmへ。ファンブック発見!
最初に開いたページにいた喜名さんに一目惚れ。スタジアムでは切れ目無く続く応援の楽しさを覚え一気に東京ファンになる。

C大附属高校からも先生をやってみませんか?との誘いがあり、掛け持ちで非常勤で週22コマ受け持つ(2002年)
2002年日本と韓国で開催されたW杯。もちろん大騒ぎする。今度は4年前に私をさらった青い波の一員になってた。(爆)
2年目の慣れからか、生徒を傷つけるような恐怖感を覚え、最初に勤めた学校を辞めることに。(2003年)

C大附属高校だけに絞り、空いてる日は、予備校に通い、いよいよ医学部へと考えてもいたが、3月はじめ酷い風邪?を引き
病院でもらった薬を飲んだら、瞼が下がったり、歩くとフラフラしたり、ちょっとした段もまたげない!って状況になる。
薬もらった先生に紹介状をもらい、耳鼻科へ。耳鼻科の先生に、めまいじゃ無い!って言われて神経内科へ
神経内科の先生に多分重症筋無力症(MG)ですね。といわれ詳しく検査しましょう。入院してね。って言われる。
検査入院は2週間だったので、入院することになってって事をC大附属の先生に相談。
検査入院中に水飲むとむせたり、しゃべってると話辛いって感じも出てくる。このまま治療に入った方が良いとの主治医の勧めで、
そのまま治療に。で、C大附属は病気退職してしまいました。

約7ヶ月の入院生活。ココで私はまた医者になりたい!って病気を再発。それに加え、支援教育って事も考える。
それから、某教育系国立大学大学院特殊教育専攻科を受験。マジで勉強したのは2週間も無いが、奇跡的に受かる。(2004)
が、面接時に毎月の通院で休まれるとコッチは、単位が出せない。と言われたこともあり、入学辞退を決意。
C大の付属3校のうちで、自分の行っていた理工学部の校舎内にある高校から、非常勤週6コマでやりませんか?と言われ、
リハビリのつもりで再び化学の非常勤講師として教壇へ。(2004−2005)
一年間、楽しかった。生徒たちと一緒にすごした日々。これで講師生活を終えて、自分の道へ進もうと長い春休みを過ごす決意。
が、またしても、2月にお手伝いで行った公立中学校で出した書類から、某有名都立高校より生物の講師をとの話をもらう。
病気で休職されてる先生の代わりで、無期限で教壇に立つことになる。(2005春)

都立高校を去ったsummyがとった行動は、なんと大学生に戻る事。って言っても精神保健福祉士養成講座なる特別講座の通信生に
なっただけなんだけど、そして仕事は、某女子短大付属高校へ、人生初の女子高なるところへ潜入する。さらに掛持ちで、
外国人留学生に化学を教えた。
2007年4月より、入院前に勤めていたC大附属へ復帰。さらに、都内私立中・高一貫校で理科を教える傍ら
精神保健福祉士養成講座にて勉強している。いつかは、自分で自立した人間に成りたいと常に願っている。
そして、その後は今に至る。

=summyが特殊教育専攻科を受験した理由=
summyは、2003年に長期入院をしました。治療のためとは言え、かなり色々制限がありました。
でも、その中で快適に暮らせたのは、病院のスタッフや友人、家族の助けがあったからだと思います。
そして、入院中に出会えた人たちも私にとっては大切な友人となりました。
直接話すことは少なかったけど、私に教育と支援について考えさせてくれた人が居ました。
名前は知りません。向こうが私の名前をしってるかも分かりません。それは、脳外科に入院中の18歳の男の子でした。
彼は、超有名高校に通っているらしく、本当は頭が良いんだよ。って言ってました。でも事故の後遺症で記憶力が
低下、結局戻らないかもって、さらに1ヶ月以上も病院にいて授業についていけるのかも心配。って言ってました。
その不安からか、夜中に大声を上げたり、大きな音で音楽を聴いたりと、看護師さんや周りの患者さんにも迷惑を
かけちゃってるって言ってた。その子は、自分でやってる事もすべて分かってるし、自分が今どんな状況にあるのかも
分かってる、分かってるけどどうしようもない状況に、イライラしてる。こういうことって、半分は事故のせい。
だけど、教育の問題なら、学校への心配なら、教員がどうにかできるんじゃないの?って考えた。
私は、究極医者になれなくても、この道があるんじゃないかって、病気や事故で学校に出られなかった子供たち
その子たちを支援できたらって、そう考えた。そうしたら多分こんな声が出るだろう。
それってもうあるよ。だけど、高校生に対してあるだろうか?私は入院するまでの2年。高校生と一緒に勉強してきた。
私の受け持ったクラスの誰かが、入院中にあった彼と同じ体験をしてたら、そんな不安を抱えてクラスに戻ってきたら、
そう思うと、高校生にも院内学級をって思った。さらに、必要であれば、転校などの相談にのれたらって。
セッカク高校で勉強したい!って希望を持って入ったんだから、病気や怪我で諦めて欲しくない。
なにか自分に合ったやり方で生きていこうって思うことが大切じゃないかって、そうしようとする生徒さんたちの
ちょっとでも役に立てたらって思った。で、退院後、私はそう言うことって出来ないかって思っていた。
ある日、養護学校の先生の免許が取れますって言う専攻科のポスターを見た。
なんとなく焦点は違うけどって思いながら願書をもらってみた。そして、3週後に試験を受けた。
願書の中のガイドに、治療教育ってことや、障害者の心理学ってことが書かれていた。こういうところもしっかりやって、
治療を受けながらでも勉強したい人たちのサポートが出来たらって思った。だけど、受験日まで時間は無かった。
でも、できるだけやってみよう。って、今までココが出来たら次やるからって後回しにしてきた事。
本当は大切なことだったかもって今なら思える。出来る事からやってみるのも大切だけど、できるだけやってみるってのも、
良いかなぁって。ある人とも話したけど、病気になってしまったけど、もう治らないかもしれないけど、
でも、この病気で色んなことを手に入れた。病気に生かされたのかも知れないってね。
だから、病気に生かしてもらった分。自分のやってみたいことを出来るだけやってみようって思うことが出来る。
そう思って、受験した。

私に出来ることなんて、あまりない。ただ、自分らしく生きたいって考える人達のその生き方のお手伝いを
させていただけたら、それが私の自分らしさだと思う。医者になりたいのもこの思いがあるからだと思う。

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